天は二物を与えた

徒然なるままにひぐらし、振込用紙にむかひて

浜中文一くんに堕ちたあの日

 

 関西ジャニーズJr. のメンバーに、浜中文一というひとがいます*1。 1987年10月5日生まれの29歳*2。彼は、関西ジャニーズJr. の最年長メンバーであり、みんなのお兄さん(もはやお父さんかおじいちゃん?)的な存在です。彼の特徴は真っ白な美肌とよく通るダミ声。そして、昔からシュールなお笑いを私たちに届けてくれました。歌もダンスもお芝居も出来ます。彼はSecretAgentだし、舞闘冠でもありました。最近、たくさんの舞台に出てたくさんの方々に知られるようになりました。そんな彼のことを私は、中学生のころから応援しています。そのお話を少しだけ。

 

 

決めた。彼を追いかけたい。応援しよう。

 

 

「関西ジャニーズJr. with中山優馬 spring concert 2011」忘れもしない2011年3月5日のことでした。

 

そもそも関ジャニ∞を応援していたので、バックに付いていた彼のことは知っていました。なんなら、少しお気に入りでした。少年倶楽部で見せるシュールなおしゃべりやイジられるダミ声を聞いて、この人面白いなと思っていたし、8UPPERSに行ったときも文一くんにキャーキャー言ってました。

 

でもそれは単に、知ってる関西ジャニーズJr. を生で見れた〜というミーハー根性からきたものであって、担当かと言われたらそうではなかった。

 

そんなとき、お友達からお誘いがありました。関西ジャニーズJr. のコンサートに一緒に行かない?と。当時、中学生だったので、声を掛けてくれたその子はお母さんと行く予定だったようです。「お母さんはジャニーズに興味ないから(笑)どうせなら」と、私に譲ってくれました。

 

チケット代6000円。中学生にとって大金です。悩みました。悩んで悩んで。行きました。(この辺からATM人生のはじまりが…?)

お財布にお年玉の残りが6000円とおこづかいが1000円ぐらい残ってたので、決死の思いで行きました。

 

会場は広島グリーンアリーナで、席はスタンド上手側後ろから数えて3列目とかだった気がします。っていうか後ろ2列ぐらい席ガラガラに空いてて実質1番後ろみたいなもんでした。(笑)

 

お恥ずかしいことに、関西Jr.の曲をほとんど知らずに行きました。知っていた曲は、UME強引オン、轟、Dial upとかかな?あとはデビュー組の曲、NYCの曲でした。Kichuのイントロかかったときに1番絶叫したほどです。

 

なので、ライブのほとんどの記憶がありません。覚えていることといえばMCのときに照史くんが、会場後方の広告「にしき堂」(←もみじ饅頭の会社)を見て、錦戸くんに見られてるみたいで緊張するねん、って言ってたことぐらいです。(それはヤバイやろ)

 

そんななか、鮮明に覚えていることがあります。それは浜中文一くんの歌声です。知っていた曲のひとつ、「轟〜Go〜」でした。その曲には、文一くんのソロというか、ユニゾンではなく文一くんが1人で歌う部分が多々あります。特に私が感動したのはサビの伸びやかな歌声でした。あれがあんなにダミ声っていじられてたあの人の歌声??綺麗すぎない??(失礼か)

 

 

その瞬間から、私はボーッとしてしまいました。ステージの真ん中で歌う彼が、ものすごく輝いていてかっこよくて綺麗で、急にドキドキしてきました。ボーッとしていたけど、どの一瞬も逃したくなくて、すごく集中していました。耳を集中させ、目を集中させ、その全てを覚えていたいと思いました。

 

 

ライブの後半、Jrたちが外周を回る曲がありました。(優馬くんはすごい止まって手を振ってくれたのに)彼は、私の目線の遥か下のほうを、風のように通り過ぎました。一瞬だったし、遠かったけど、必死に手を振りました。最後のメンバー紹介でも、必死に拍手をしました。それでも彼はいつも通り、ボケぇっとした顔で(褒めてる)、ステージの後ろに消えていきました。

 

会場を出て私は迷いなくグッズ売り場に向かい、Veteranのクリアファイルを買いました。

 

嬉しくて嬉しくて、しばらくの間、勉強机に飾っていました。それ以来、Jrの子で誰が好きなの?と聞かれると文一くんと答えました。毎シーズンの松竹座には行けなかったし、関西ローカルの番組は見られなかった。少年倶楽部は見れたのに全然出てくれなかった。けれど、なぜかずっと応援し続けていました。

 

2016年、私は5年ぶりに文一くんがステージに立つ姿を見ました。ステージはステージでも、外部舞台という最高の場ばかりでした。昭和のとある旅一座の下っぱ、富雄。マヤを一途に想い続ける若手俳優、桜小路優。とてつもない性癖を隠し持つ実業家、クリスチャン・グレイ。どの役も最高でした。彼はすでに、私が思っていたよりも遥か遠く高い場所にいました。

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そして。

 

 

国内最高峰の舞台「EndlessSHOCK」の出演、おめでとうございます。18年かかって、こんなにも高いところに届いた彼を、誇りに思います。公演を観に行かれた多くの方々が、文一くんが凄いとおっしゃっていて、嬉しくて嬉しくてしょうがありません。

 

 

そしてさらに。

 

 

 「ふるあめりかに袖はぬらさじ」出演決定おめでとうございます。大地真央さんの次に名前が書かれていて目を疑いました。演劇初心者、茶の間野郎の私でも分かります。この舞台に選ばれたことは凄いことだと。大地真央さんが元宝塚歌劇団というのは当たり前に知っていますが、演出の方も宝塚歌劇の脚本・演出の方のようで(疎くてすみません)、非常に楽しみでしょうがありません。このお話自体も気になりますが、時は幕末の時代劇を彼がどんな風に演じるのか、どんな新しい浜中文一が見られるのか、私は楽しみで仕方ありません。(そもそも行けるのか私)

 

あのときあのコンサートに行っていなかったら、文一くんのファンになっていたかは分かりません。もっと早くに小瀧くんに出逢っていたかもしれないし、大倉くんだけが好きだったかもしれない。もしかしたら、今年になって文一くんを見つけたかもしれない。同じJr. でも東京が好きだったかもしれないし、関西だったらfunky8の誰か、例えば朝田淳弥くんだったかもしれない。(いや、既に好きだけども)

 

文一くんのステージを観に行けなかった空白の5年間、応援していたと言っても何もしていないじゃないかと言われたらそうとしか言えません。それが悔しい。

 

でもあのとき彼に出逢えてよかった。でなければこんなにも嬉しい気持ちが味わえなかった。こんなにも悔しい気持ちも味わえなかった。ガツガツ前に進むことも大事だけど、自分のペースで進むことも大事だと、教えてくれたのは文一くんでした。頑張ること、真面目にやること、たまにふざけることが大事だと教えてくれました。

 

あのときチケットをくれたお友達にありがとうを言いたい。それ以上に、浜中文一くん本人に盛大な拍手とありがとうを伝えたい。ありがとう。

 

まずは、目の前の舞台が今までで最高のものとなり、無事に怪我なく病気なく進んでいき、千秋楽を迎えられるよう祈っています。そして決まったお仕事やこれから決まるであろうたくさんのお仕事が文一くんにとって価値ある経験になりますよう、これからも文一くんがたくさんのステージに立ち、歌って踊ってお芝居が出来ることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 ↓過去記事はこちら。

jhrun.hatenablog.jp

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*1:2018年時点で関西ジャニーズJr.という肩書きが取れました

*2:2017年時点