天は二物を与えた

徒然なるままにひぐらし、振込用紙にむかひて

『違和感』が存在していた証

渋谷すばる関ジャニ∞を脱退する」

 

この事実自体は、思っていたより受けとめることができていた。頭では。

 

問題は心だった。

 

「最後の出演」「最後の生放送」「最後の…」

 

こんな言葉が目に付き始めて、スッと過ぎ去って、もう終わってしまった。

 

彼らがあんまりにも前向きだから、eighter!と呼んでもらえる立場として、後ろ向きな気持ちは出したくなかった。

 

けれども、やっぱり出てしまう。

 

い続けて欲しかった。関ジャニ∞に。

 

 

 

記者会見の次の月曜日、強靭な精神をもってして、大学に向かった。(実は健全な大学生である。)ジャニヲタなことは親しい友人には公言しているし、絶対なんか言われるな、と思いながら、向かった。

 

案の定言われた。

「なんで辞めるの?」「なんかアイドル嫌だったって噂ホント?」

私だって知りたいし、嘘にきまっとるやろがぁ!

 

そう言いたかったし言おうと決めていた。(言ったけど。)

 

そのとき、自分でもそうなると思ってなかった、涙が出た。割と号泣の方の。

幸運なことに、私の友人には様々なヲタクがいるので、この気持ちを分かってくれる友人もいた。タオルに顔をうずめた私を見て、別の友人が、「こういうときは質問も肯定も否定もダメ。外部は何も言っちゃだめ。」と諭してくれた。

 

その日は本当はユニバに行く予定だった。けれど本当に申し訳なかったけど、自分から大阪の町に出向いていくのがつらすぎて私は行かないことにした。

 

ちょっと電車に乗れば大阪に着く場所に移り住んできたというのに、こんなにも大阪という町が私にとって特別な場所だったことをそのとき思い知った。

 

 

 

 

 

 私が関ジャニ∞に出会ったのは、2010年、中学1年生のときだった。(年齢計算しないで)衝撃のファーストインプレッションは2009年~2010年のカウントダウンライブ。嵐のOneLoveを歌うエイトレンジャーである。頭悪そうすぎて正直あきれた。(褒めてる)その後、そのカウントダウンライブのライブ映像で急☆上☆Show!!を見て、ギャップが意味分からんすぎて惚れた。その後は真っ逆さまに堕ちてDesireって感じ。母と妹と私でカウコンDVDを買い、CDをレンタルし、DVDを友人に借りまくった。大阪の地を夢見て、毎日心斎橋とか道頓堀とかに行きたいって思った。FCに入り、ライブに行き、グッズを買った。大人になってからの音楽の好みは14歳のときに聴いていた音楽で決まるとかいうから、私の音楽感はすべて関ジャニ∞にもっていかれたということである。関ジャニ∞の音楽は渋谷すばるがいてこそだった。ということは私の音楽も渋谷すばるがいてこそだ。それがぽっかり抜けるのである。前を向けと言われてできないはずである。

 

でも渋谷すばるがいない関ジャニ∞に期待をしてない訳ではない。

 

新しい姿を見せて欲しい。むしろ、渋谷すばるの影を全く見せないグループの姿を見せてほしい。関ジャニ∞がすばるを忘れたみたいだから嫌だという人もいるだろうが、彼らがすばるを忘れるわけがないじゃないか。私は信じてる。だからこそ、すばるのすの字も残さない活動を始めて欲しい。関ジャニ∞たちがすばるの影を一つも出さなくても、私たちが勝手にそこに存在させてしまうかもしれない。それほど彼は私たちの心に棲みついていた。

 

6人で初めてのライブの日、錦戸亮がこのようなことを言ったらしい

「この姿は違和感だと思います。僕たちも思ってます。でもこの違和感こそが、彼がいた証です。」と。

 

彼がいない場で、彼の存在を少し出したように感じた。でも、それは何か彼に頼っているわけでも、過去にもたれているわけでも、後悔とか悔しさを出しているわけでもなかった。関ジャニ∞はすでに前を向いていて、まだ感情を整頓できていない私たちeighterを安心させようとしてくれる一言だった。

 

実際安心した。「『違和感』こそが存在していた証」っていうのは名言だと思った。そうか、彼らはそんな風に捉えることができる人たちなのか。初めて心でも渋谷すばるの脱退を受け入れることができた瞬間だった。

 

6人の関ジャニ∞なんて、『違和感』しかない。それは悪いことだと勝手に思っていたけれど、そうではない。彼らは、これから先も『違和感』を引き連れて活動していくのだろう。別にそれは過去に頼っているわけではなくて、過去を誇りにして活動するのだと思う。