天は二物を与えた

徒然なるままにひぐらし、振込用紙にむかひて

この世界への入口~ジャニヲタになったきっかけ~

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

 

ブログを始めておきながら、何を書こうかと悶々としていた。ということで、あややさんからのお題を使わせていただく。まずはこれからだな、と思ったので。

 

私が初めて好きになったジャニーズは、国民的大アイドルグループ、嵐の二宮和也である。2009年のことだった。そう、嵐の結成&デビュー10周年のときである。我ながら普通だなとつくづく思う。その頃の嵐は毎日、ほんとに毎日テレビに出続けていた。「嵐チャレンジWeek」なんて企画もあったし、全員でのレギュラー番組は3つ、メンバーの主演ドラマが毎クール1つ以上あった。そのせいでそれまであんまりテレビを見ていなかった私は、嵐にハマってから毎日2時間以上テレビの前に座るようになった。

だが、このとき私はまだジャニ「ヲタ」ではなかった。と、今になってみると思う。まだ財力が皆無だったこともある(別にいまでもだけど)が、その頃はまだありとあらゆる欲がなかったように思う。テレビの前で、「あー今日もニノはかっこいいなー」と言うだけで満足だった。コンサートには人生で1回行けたらいいと思っていたし、ジャニショに行きたいと思ったこともなかった。

 

そんな純粋な乙女の心を変えたのはヤツらだった。西の刺客、関ジャニ∞である。

 私は、彼らのライブ映像を見てしまった。曲は「急☆上☆Show!!」である。見て度肝を抜いた。今まで見ていた嵐のコンサートとは全く違った、その曲調と生歌の騒がしさ、自由なパフォーマンス、大倉くんの「一人じゃないよ」というセリフに私は撃ち抜かれた。そこには見たことのない世界が広がっていた。

それ以来、嵐も追いかけつつ関ジャニ∞も追いかける、という掛け持ち生活がスタートした。嵐には正統派アイドルを、関ジャニ∞にはアーティスト的なバンドアイドルを求めた。その後半年は、バランスよく両グループを追いかけていた。とは言っても嵐のほうがテレビ露出は圧倒的に多かったし、関西ローカルは見れなかったので、単純な量としては嵐に軍配が上がっていた。しかし、仕事が決まるたびに飛び上がって喜んだのは関ジャニ∞の方だった。このあたりから関西担気質が徐々に顔を出しはじめている。そして、この掛け持ち生活がとりあえず終わった日があった。

 

2010年10月1日のMステである。この日は嵐とエイトが一緒に出演した。曲はエイトが「アニマル・マジック」、嵐は「Dear Snow」だ。エイトが歌う前まで呑気に「一緒に出てくれて嬉しー!ラッキー!」とか言っていた。細かいことはあんまり書かないが、簡潔に言うと、関ジャニ∞のほうが超カッコいい、と思った。顔がカッコいいとかそういうんじゃなく、なんか、男前なカッコよさを感じた。歌い終わったあと、さっきまでカッコつけてた彼らが、カメラに向かってちょけ出したのにもキュンとしてしまった。ほんと、検索したらすぐ出てくるから見てほしい。

 

ジャニ「ヲタ」になったのはそこからだと私自身思う。とりあえず大倉忠義くんのメンバーカラーの緑色が目につくようになり、ありとあらゆるものが緑色で揃った。少ないおこづかいでCDや雑誌を買うようになった。ひたすら過去の映像をYoutubeで漁り、「なぜもっと早く出会わなかったのか」という無駄な後悔をする日々を送った。しまいには後ろで踊っている関西ジャニーズJr.に興味を持ち出した。毎週、少年倶楽部を楽しみに生きていた。ほんと節操がない。掛け持ち生活は終わったかと思うとまたすぐ始まった。ちなみに、それ以来終わったことはない。今だって、先週のまいどジャーニーを見ながら書いている。

 

このようにして私はジャニヲタになった。今となってはそうじゃない自分は想像できない。基本的に嫌だったことはすぐに記憶から消すタイプなので、楽しかったことしか覚えてない。だから、ジャニヲタになってからは楽しいことばかりだ。(と思いこむことが大事)

あのMステ以来、嵐さんはアルバムを毎年レンタルして聞く程度だ。それでも、一生に1回行けたら、と思っていたコンサートにはありがたいことにBeautifulWorldのツアーに行くことが出来た。思ったよりも早く一生のお願いが叶ってしまった。最近はニノさんよりもちょっと、ほんのちょっとだけ相葉ちゃんが好きかもしれないことを報告しておく。(別に知りたいひとなんていないだろうが) やっぱり足が長くて背の高い人がすk 、、、。ニノの足が短いなんて言ってない。

 

最後に、まとめると、ジャニーズって素晴らしいから、ジャニーさん頑張って長生きしてね! (無理やり終わらせた)